スポーツ馬鹿な指導者の見分け方とは? 【実は重要です】
「スポーツ馬鹿」という言葉があります。
過激な言葉ですが、スポーツばかりに熱中し、スポーツの観点から全てを語ろうとする人を揶揄する言葉であり、
サッカーの指導者の中にも、多くの「スポーツ馬鹿」が存在します。
今回は、スポーツ馬鹿の特徴やその見分け方、そうならないための具体例を紹介していきます。
スポーツ馬鹿の特徴 指導者は耳が痛いかも?
一般的に、「スポーツ馬鹿」と呼ばれる人は、経験論に偏りがちだと言われます。
経験論は諸刃の剣です。
上手く活用すれば、選手たちの心に響き、様々な気づきを与えるツールになる一方で、
経験論だけに頼り過ぎると、目の前の出来事を常に過去の出来事と比較してしまう傾向が強くなります。
結果的に、選手を色眼鏡で見てしまい、新しい可能性の芽を摘んでしまうことに繋がりかねないのも事実です。
「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」
サッカー元フランス代表監督のロジェ・ルメールの有名な言葉です。
「スポーツ馬鹿」になりたくない指導者は、この言葉の意味を深く理解し、日々自己研鑽に励んでいます。
選手たちは生身の人間であり、指導者自身が生きてきた時代とは、全く違う時代を生きています。いわゆるジェネレーションギャップも多く存在します。
常に新しい情報をキャッチし、自分自身を更新していかなければ、教える資格を持つことはできません。
「スポーツ馬鹿」と呼ばれてしまう指導者は、過去の競技実績や指導実績にこだわり、新たな知見を得ることを止めて、新しい情報を批判します。
「スポーツ指導者だからスポーツだけやっていればいい」この言葉こそが過去の遺産なのです。
スポーツ馬鹿な指導者の見分け方
では、どのようにして「スポーツ馬鹿な指導者」を見分けるのか?
答えはすごくシンプルです。
その指導者に「傾聴力」があるかを見ます。
多くを学び、多くを経験した人ほど、相手の目線に立ち、話を聴くようになります。
相手の話を聴ける人は決まって学んでいる人であり、学ぶ人は好奇心が強いです。
自分に常に疑いを持っているからこそ、謙虚になり、目の前の相手から少しでも学ぼうとします。
僕の経験上、選手と同じ立場に立ち、コミュニケーションを取ろうとする指導者に、「スポーツ馬鹿」は、経験上見たことがありません。
人間は、「聞いてもらいたい」生き物です。
特に経験論者は、えんえんと自分の話をします。
経験と学びが強く結びつけば、相手の話を聴くこと、話をさせることで気づきを促すことの重要性に気づきます。
このように、いくつになっても人の話に熱心に耳を傾けられかどうかがいい指導者を見つけるポイントです!
スポーツ馬鹿から脱する具体的な方法 指導者のあなたは大丈夫?
多くの優秀な指導者は、様々なことをスポーツと関連づけながら捉えています。
時には小説から、時には映画から、旅からも学び、豊かな人間を育てようと意識しています。
僕の周りにも文献や論文をたどり、論理的に物事を考え、新しい指導法の発見や、自身の指導に論拠を持とうと試みる人も多いです。
すぐにできる簡単な方法として、1日の中でスポーツ以外の分野のことを学ぶ時間を5分だけ取り入れることです。
あなたが教えているスポーツ以外の分野は未知のことだらけです。
自分が知らなかったことや思ってもみなかったことが山ほどあります。
そのような新しいことに触れた時に気づくことや考えることもあります。
人は習慣を好む生き物です。
サッカー馬鹿、スポーツ馬鹿になるのではなく、新たな学びを得る時間を習慣化してみることから始めてみてください!
また新たな価値観や意見、指導法に出会った時に、すぐに「これはダメだ」と批判するのではなく、まずは一度試してみたり、なぜこうなるのと疑問を持ったりしてみることも大切です。
自ら、自分の新たな扉を開いていきましょう!
スポーツ馬鹿な指導者の見分け方とは? 【実は重要です】 まとめ
自分は「スポーツ馬鹿だ」と胸を張って言える時代ではありません。
常に進化していくスポーツの世界では、さまざまなものから学び続け、その知見と自身の過去の経験とを融合させていくことが大切です。
年齢関係なく人の話を聴ける「傾聴力」と、学びを実行できる「実行力」が今後のスポーツ指導者には必要な要素になってくるのは間違いないでしょう。